hajimerie’s diary

あばら骨が折れている猫のハルと大学生の年子兄妹と私の日々のダイアリー

8/16昨年の8/14コロナデルタ感染し救急搬送、あれから丸1年たって

昨年の8/11新型コロナ陽性が分かり自宅待機、8/14の21時40分、保健所が繋がらないので救急車出動を要請。23時30分、ようやく私の受け入れ病院が決まった。

8/15私は深夜入院した。

(この時はiPhone6S、あまり画像が鮮明ではない。この入院期間中に6Sが壊れ12ミニに移行)

 

1年前、デルタ、ラムダに感染され入院した患者の中には亡くなった方がおられた。

完治する前の退院、転院は当たり前、1か月入院していた私は長老の類いとなっていた。

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呼吸ができない、ずっとこのサチュエーション。
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自撮りした写真。
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病院食など全く食べられなかった当時。

コロナというより私は過労だったと思う。病院側は私が毎月の残業108時間超えを半年以上続けていた、労務で会社と揉めていたなど知らない。

この時のコロナ治療はステロイド投薬のみ、治療薬などないからだ。肺のコロナ菌を死滅させるだけしかできない。

過労気味で体力がないのに、ステロイド投薬を続ければ体に異変が出るのは当然と言ったら当然だ。私は回復しない。菌が体に回る。

 

あれから1年経った。

今の私はそれなりだが自分の思い通りの仕事をしている。この姿があの時見えたか?

いや、見えていない。

まさか自分が起業するとは思っていなかった。前勤務先に戻ることしか考えていなかった。大学生の息子が代表理事、これでスタートした我が一般社団法人だ。

 

大好きなマンション管理組合を自分のところで管理継続するなんて誰が考えるのか?自分の力だけではここまで来ることはできない。

 

今から遡る2年前の2020年、私が入院する1年前だ。父が他界、この時の父は単なる大腸がんの2泊3日の検査入院だった。誰もが死など全く頭にない、旅する前の検査だった。

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この検査の最中の浣腸を痛がり父はその晩発熱、悪化して意識混濁。そのまま入院となった。

鎮静を施し天に召された。ありえない。

父が死んだ原因は診断書には肺炎とあるが、コロナだと今でも身内は思っている。

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父の葬儀

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父が眠る千葉流山のお寺さん。

 

天国の父が私を導いてくれている。

同じく60年前他界した笠間稲荷大好きの祖母が見守ってくれている。

また、私と18年間人生を共にした猫のぶん、保護して看取った猫達が皆見ていてくれている。

 

だから、私は失敗しても立ち直れるんだ。

毎日元気に自宅で仕事ができるようになったんだ。

 

2020.03.20の私のブログをコピペした。

父が急逝した。シロ装束に着せ替え六文銭を持たせてあげた。明日まではこのままとのこと。

六文銭はこの年になるまで知らなかった。

地獄の沙汰も金次第、、、。

皆それぞれ六文銭を持たせたので六文銭が百文銭になり笑ってしまった。

私は明日仕事が入る。

新入社員の面接試験の面接官だ。

仕方ない、私の代わりはいない。

 

2020.03.21の私のブログをコピペした。

今日お寺の住職と話をした。

陽光桜が満開のお寺、すごく明るいお寺さん。

父の命日がお中日。

お中日とは春分の日、彼岸入りと彼岸明けの真ん中の日が春分または秋分の日。

とてもおめでたいんです。

父の年を越すまで生きるのが親孝行と住職に言われた。

お寺さんの訓話はありがたい🥰

 

今日思う。神様って本当におられる。

今の自分がここにいられるのは先祖のおかげ、神様のおかげ、無宗教の私だがそう思う。

 

まだ、全てを思うように軌道にのせることは無理。一つ一つゆっくりと我が法人のファンを増やしていく。

 

私は生死を彷徨った分、無理はしないことを心に決めた。「できないことはしない、できることだけをやっていく」を掲げた。

 

2022.08.15送り盆の今日、コロナデルタで私だけが緊急入院、それがなければ過労死だったかもしれない。4人家族で3人デルタ、そのうち何故私だけが救急搬送ICU

しみじみと私のこの激動の1年、私の生きる意義を振り返ってみた。