昨日書留を出すため約2キロ離れた郵便局まで歩いた。皆、出払い車がないため郵便局まで徒歩、雨予報なのでいつもと違う郵便局近道の山の中を歩くことにした。
裏道で急な上り坂、坂の途中で見つけた崩れかかったこの鳥居。
21年この街に住んでいる私、氏神様にもお参りを欠かさない私が何たることか?存在すら知らなかった。
私の町は、江戸時代いやもっと前からだろう、一族集落がそのまま今でも続く。山形の佐藤、みたいな同じ苗字の家ばかり、しかも皆地主だ。
おそらくこの地主一族の関係の神様か?
それにしてもこの辺り、あまりいい空気は感じなかった。ほこらが放置されているからか?
微妙に怖い感じがした。
近寄ってみるとやはりほこらだ。
祠(ほこら)とは神を祀る小規模な殿舎。語源は神道用語の「ほくら(神庫、宝倉)」の転訛という。小祠(しょうし)、小堂(しょうどう)とも言われる。もともとは古神道に由来する信仰であるが、神仏習合によって道祖神に関連した仏(地蔵菩薩など)も祀るようになった。
偶然か必然かわからないがこのほこらを見つけた私が感じたこと、それは崩れかかる鳥居を補修してほしいという強い念。
拝むことが出来なかった。だから、文章で残しておくことにした。
年末のキャベツ畑、秋桜畑は冬の様相。13時過ぎだが農家は誰一人作業していない。
この一角を過ぎたらいつもの明るい私の住む町の風景に変わる。
あのほこらの少し先に道祖神が祀られている。
庚申塚だ。この町には道祖神が4つある。庚申塔は多数あり、その1つだろう。
この道祖神は子育て地蔵、地元に居ながらにして初めて賽銭を入れて手を合わせた。こちらは明るい空気が流れていた。
さて、久しぶりに怖いほこらを見つけた。
祟りなどはないと思うが、鳥居が崩れたりしたら神様は黙っていない。ほこらは市が管理しているはずだ。
この一連の設立立ち上げ作業が一段落したら、横浜市ではなく、その上の神社庁に聞いてみようか。