hajimerie’s diary

あばら骨が折れている猫のハルと大学生の年子兄妹と私の日々のダイアリー

娘、大学入学おめでとう㊗️🤗

昨日は我が家の2人の子供の入学式があった。

息子は大学2年だが、昨年入学式が中止された。昨日正規の新入生入学式があり、そのあと15時から新2年生の息子達の1年遅れの入学式が執り行われた。

 

息子の大学では夜間18,000発の打ち上げ花火が校舎でドーンドーンとあげられた。

 

新入生と近隣の方々はお喜びになるだろう。

 

さすがに東海大学、18,000発打ち上げ花火は圧巻だ。学費が高いだけある㊗️🤭

 

こちらは娘❣️

小田急人身事故で電車ダイヤが乱れ、振替輸送の案内を受けながら、迂回路を駆けずり回り入学式10時半開始直前ギリギリで会場に入り込んだ。

滑り込みセーフ、、、同じ方々がたくさんいらっしゃる。

 

両親同伴が2/3、出席者のセレブ感覚が溢れる女子大風の入学式だった。おぼっちゃま大学なんだと実感した。

 

東海大とは全く校風が違う。

付属高校と同じ、いわゆるおぼっちゃま大学だ。

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10号館が保護者待機場所、しかしながら同伴者が増え新たに8号館が開放された。

私は8号館に案内された。

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大画面が2台、入学式が中継された。

 

学長は挨拶の際、法曹界を担う若者を輩出したいと話されていた。

 

赤門、白門という単語が頭に浮かんだが、白門はどこにあるのか?なんて考えてしまった。
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新校舎だからもあるが、とにかく洗練された美しい大学だ。一体白門はどこにあるのか?
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(以下学校案内抜粋)

中央大学を象徴して「白門(はくもん)」と呼称されることがあります。
1885(明治18)年、18人の若き法律家たちを中心にして中央大学の前身である英吉利法律学校(イギリス ホウリツ ガッコウ)が創設されました。
彼らは当時国内で主流だったフランス法ではなく、実社会と密接に結びついたイギリス法を学ぶことこそが、わが国の司法制度の確立と近代化を達成するために役立つと考え、英吉利法律学校での教育をつうじて近代社会にふさわしい人材を育成しようとしたのです。
新進気鋭の法律家たちによる熱心な講義、実地応用を重んずる実学的教育を特色とする本学には、将来法律家として社会の正義・公正を実現しようという高い志をもった青年たちが数多く集い、研鑽しあい、学窓を巣立っていきました。
昭和初年(1920年代)には、学生歌に「白門」ということばがあらわれています。史実で確認できる「白門」の初出です。作詞者は、後年、白色は徽章の白から、門は当時他大学でも言われた門を組み合わせたものと語っています。同時期、応援団が作った応援の小旗は「潔白を示す白でCHUOと染めた」とあります。また、同窓会が白門会を名乗るようになっていくのもこの時期です。
大学が公式に「白門」ということばを使ったのは通信教育部の機関誌『白門』(1949年創刊)が最初で、翌年には校歌の歌詞に登場しています。
卒業生の中には私学出身者として初めて法学博士となった不世出の名弁護士で、のちに「花の弁論」と謳われた花井卓蔵や1945(昭和20)年戦争が激しさを増す中、翼賛選挙無効の判決を下した吉田久などをはじめ、優れた見識のある法曹家として歴史にその名をとどめた者も少なくありません。
このような本学独自の建学の精神や歴史、学問に対する姿勢から生み出されたのが「白門」という呼称だと考えられます。
創立以来、130年余の時が流れ、かつての英吉利法律学校は現在8学部、大学院7研究科、専門職大学院2研究科のほか、9研究所、4附属高等学校、2附属中学校を擁する総合大学・中央大学として発展を続けてきました。 創設者たちの重んじたイギリス法こそがもっとも実用に即した法体系で、その学修こそが法律家を育成する最良の法学教育であるという固い信念にもとづいた批判精神を忘れない在野での自由な学問の気風は、「白門」ということばとともに今も中央大学の中に確かに息づいています。

 

入学式が終わった。

この白門探しを諦め、娘らとワインランチ❣️

京王多摩センターのパスタ屋さん。


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この帰りだが、まだ小田急線のダイヤが乱れていた。小田急線をやめて横浜線で帰宅した。

 

ワインを1本開けた私㊗️🍾😉

 

小田急線には辟易した。

ワインが入り機嫌がすこぶるいい私は、兄と一緒ならばアパート住まいも許すかな?と娘に話した。

 

シラフになり、アパート代なんて払えるわけないと思い直した。

 

そのくらい小田急線人身事故処理は遅い。

小田急よ、他の鉄道会社を見習ってほしい。ライバル鉄道会社にいた私は特に思う。