hajimerie’s diary

あばら骨が折れている猫のハルと大学生の年子兄妹と私の日々のダイアリー

5/9子育ての悩み、ようやく今理解できた。

5/8大4となった息子が卒検に向けて作品制作の準備に入った。

教授から個人的に読むよう指導された本を購入したらしい。テーブルにあった本、2,800円だった。ペラペラめくるとあっと気がついた。

その本がこれだ。

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私がびっくりしたのはこの2作品の頁だ。

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この話は16年前のもの。

息子と娘、3年保育のキリスト教幼稚園に入園した。娘は普通の子供だったが息子は違った。

幼稚園年少の頃、担任から「絵を描く時に用いるクレヨンの色が子供らしくない。紫や黒が多いし描く物体が意味不明だ。発達検査を受けた方がいい。」と言われた。その時に見せられた息子の絵がこんな感じの絵だった。

課題は幼稚園の遠足での農家の芋掘りの絵。芋掘りなのに人も芋もない変な絵を息子は描いていた。

 

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次に運動会の思い出、この絵の時にも私は担任から呼び出され、今度は家庭環境に問題がないか聞かれた。

運動会の絵、息子は紙を破り貼り付けた。しかも黒いボールだった。どす黒い色の絵だった。

 

当時、年子の1つ下の娘は問題なく幼稚園生活を送っていることから息子のみの特性によるもの。療育センターで検査してもらった方がいいとアドバイスが逐次担任からあった。

 

幼稚園に嫌気がさした私。あなたたちキリスト教でしょ?右の頬を殴られたら左の頬を差し出せというイエス様の教えがあるのでは?、、、と常に思っていた。

仕事をしていたため忙しくなかなか子供に手が回らない。

少ししつこいので、私は幼稚園から紹介を受けた療育センターではなく病院の精神科に息子を連れて行った。

「問題ない!」と精神科医からの診断が出た。「絵に個性が出て当然だ。人と同じではないと切り分けする幼稚園に疑問を持つ。」と逆にドクターから励まされた。

 

これを受け、年中になった息子の進路を幼稚園の園長先生に告げた。

「息子に小学校受験をさせる。今後は息子の教育をお受験専門の幼児教室にお願いする。だから温かく見守ってほしい」と園長先生に伝え療育センター云々から外れた。そこから息子は少しずつ変わっていった。

おかげさまで息子も娘も同じ私学の小学校へ入学した。

でもこの時の私は正直辛かった。自分が高齢出産だからこんなふうになってしまったのか?と悔いたこともあった。

 

今、その辛い時の息子と同じような絵が本になっているじゃないか⁉️⁉️

しかもそれ以上に珍しい作品をこの本は紹介しているじゃないか⁉️⁉️

 

今でこそ多様化と綺麗な言葉で括られるが、画一化した教育の枠からはみ出た子供の親の気持ちは痛いほどわかる。半面、息子が扱いづらいという幼稚園側の気持ちも今は理解できるようになった。

小学校は学区外、これが今に繋がっている。お金はかかったが結果的によかった。

中学から2人とも別々の大学の付属に進み、私は仕事を続けていけた。その中で息子は絵画、娘は作文と得意な分野に進んだ。

特に息子は中学から全国の絵画コンクールで入賞を繰り返すようになった。芸大の彫刻家の教授に師事し絵画立体を学んだ。デザインに進めとアドバイスを受けたのもこの芸大の先生だった。

 

のちに知ったのだが、この幼稚園の勧めで近所のおとなしめの男の子が療育センターに通所されていた。全くうちと同じ😳😨結局発達障害とされ小学校数年間かなりの日数通われていた。

ところが、数年後親子共々居づらくなったのか同じ横浜市の学区域の違う地域に転居されていった。公立小間の転校だ。家族ぐるみで仲良しだったのにとても残念だった。

 

もし、私があのまま息子を療育センターに連れていっていたら、この親子の二の舞だったかもしれない。息子本人も「絵が人と違う、それだけで皆と違った扱いをされてしまった」と悩んだかもしれない。

 

今、子育て支援が叫ばれている。やっぱり親は最後まで子供を信じきる強さを持つべきだと私は思う。これからは、人と違う子こそ原石だと思える社会になっていけばいいなぁ。

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ハル🐈はキャンプから戻った以降、食欲旺盛😳私が動くとハル🐈もついてかりかりをねだる。吐かないように調整しながら少しずつあげている。

「かりかりくれにゃー😹少しなんていやにゃ😿かりかりにゃー」byハル🐈