3/14昼に群馬川原湯神社を参拝した。
この光にびっくりした。
この写真は一旦お参りした後、駐車場に戻ろうとした時に偶然「もう一枚写真を撮って」となんか言われた感じがしてわざわざ駐車場を出て神社前まで戻って撮影したものだ。
神社からのまあるい光を身体が感じた。
写メだからうまく撮れていないが、、、。
子供達が草津温泉スキー場でスキースノボにいそしんでいる間、旦那と私はナビにない川原湯神社へお参りにいくことを決めた。
川原湯温泉には30年前になるか、生前の父と来たことがあった。
八ッ場ダムができる。この温泉がダムの下に沈む。今のうちに泊まりに行こうと父に川原湯温泉に連れてこられた。確か、宿のそばに小川が流れている山木?養老?こんなような名前の宿だと記憶している。
父が他界し懐かしい昔の川原湯温泉が今どうなっているのか知りたい。草津からならばそんなに遠くない。車で川原湯神社に向かった。
我が家のセレナオーテックのナビには川原湯神社は載っていない。川原湯神社がナビで探せない。新築移設されたらしい。
川原湯温泉駅で調べた。
JR川原湯温泉駅は新しくできた近代的駅舎だ。
3/14人っ子1人いないさびれた町になぜか突然現れた。これ、すごすぎないかい?
車を駐車場に入れた時、現れたノルウェージャンのような首輪をつけた猫🐈こちらに来る。
車も通らない新しい道路を自分の庭のように歩き近寄ってくる猫🐈が来た。汚れているが飼い猫だ。人懐っこい。
川原湯神社は川原湯温泉駅の向かいにある。出来立ての新しい神社だ。
手を合わせ亡き父を思い出す。
王湯とかは30年前に行ったっけ、、、。
昔の川原湯神社は木造建築の重厚感漂う雰囲気だったが、この新神社は明るく若い人好みの綺麗な建物だ。
石仏の頭を撫でさせてもらった。
ダムの下に沈んでしまった昔に思いを馳せた。
お父さん、かつての川原湯は確か中之条から下道を川沿いに走ってきたよね、なんて心の中で父に話しかけた。
この草津旅行から戻った3/15の朝9時 大学から電話があった。
まず、申請期限切れと棄却されていた息子の奨学金がなんといきなり第三次募集決定となり2日間申請を受付することになった。すぐにエントリーしてほしいと言う内容だった。
次に、息子の社団法人に大学のサポート担当がついて下さることになったと連絡がきた。
最後に、横浜市都市デザイン室から横浜市50周年事業にコラボ提供のお知らせのメールが届いた。
ホームページをようやくアップすることができた。
思わず、トントン拍子。
あの川原湯神社の後光効果だと思ってしまった。
話は変わり、融資について、昨日の公庫が相変わらずガタガタ言っている。私からしたら高ピーな男の単なる貸し渋りにしか思えない。
今回の融資は、公庫でなくとも横浜市が申請を受け付けてくれることになっているのに、、、。
あの高ピーな威圧感溢れる課長代理は何なのか。何様のつもりか?
私は
「公庫は私らへのアドバイスも仕事のうちではないのか?あなたは、起業素人である我々にキチンとアドバイスしてくれているのか?そうは見えない。役所の方が断然親切丁寧だ。」と公庫担当者に厳しく申し入れた。
逆ギレしたのか公庫担当者は
「息子さんのレベルが低い、、、」な話をしてきた。
私は
「あなたが息子1人で面談に来いと言ったのではないか?コロナデルタ感染後遺症で思うように動けない私に代わって、学業を続けながら私の意を汲んで学んでいる息子が私と同じような説明ができるわけなかろう。それもわからないのか?
コロナ患者のいる家庭を馬鹿にしているのか?」と言い返した。
イライラして昨日は私が読者登録しているブログ記事を読むことすらできない心理状態だった。
あらためて思う。
旧川原湯温泉は沈み、新たな街に生まれ変わる。新旧交代は世の常、草津旅行はもしかしたら天国の父が企画したのかもしれない。
天国の父よ、娘はまだ若干肺炎に苦しんでいるがこっちで頑張ってるよ。
残りの弟妹も幸せになれるように皆頑張ってるよ😊
今朝、イライラしない、イライラしないをおまじないのように心の中で呟き、父の位牌に手を合わせた。