中3娘、15年前の4月19日、14時45分、産声をあげた。
娘の出産前半年から(平成13年10月)切迫早産対策で私は横浜市神奈川区にある済生会神奈川県病院に入院。そのまま正産まで点滴待機で手術に入った。
出産後のオペ傷が塞がらず、傷口から血液が流れ出した。あらたに2週間入院となる。
計200日の入院で娘を出産した。病院計画出産のわりに難産だった。
私は40歳で初産。娘を産んだ時は41歳
平成13年4月16日、息子が生まれて丸々1年経過した平成14年4月19日、娘が生まれた。
60定年の前に成人式と考え、年子で産むことを決断した。
私はケロイド体質であった。
身体は至って丈夫。風邪すらもひかない体力バカであったが婦人科系は弱かったらしい。
結婚したのが34歳。当時妊活などの言葉もなく、子供なんて天下の授かりもの🤗。
日々仕事とアフター5の食べ歩き三昧。
息子が生まれて、一人っ子ではかわいそう!ならば年子!女の子が欲しい!
こんな軽い気持ちで計画出産を実行する。
誤算は切迫早産だった。
元々息子の出産から時間がまもないため、産後戻りの子宮の状態が芳しくない。寝たきりを医師から告げられ、緊急入院。
この間、生まれたばかりの息子は私の祖母が面倒みる形となる。
入院中の私に面会する生後半年の息子は、私を親と見ず、私の顔を見るなり人見知りして泣き叫ぶ。
つらかった😭
息子の帝王切開の際、麻酔の副作用が出たため、麻酔を極端に減らしての2度目の帝王切開。
娘の出産は、麻酔無しで腹を切る。
痛みは半端でなく、意識が飛んだ。
私は痛みで幽体離脱を体験した。
痛みがひどいため、身体が動く。
大量出血と娘と私の母子手帳に書いてあるが、
それは人生最大の痛みだと今でも思う。
生後半年の息子をほったらかし。
ケロイド体質のため、帝王切開の傷口が開き、翌週縫合再手術。この再手術後、子供もいない私は仲間のいる婦人科病棟から一般外科病棟に移された。
おばさんや、おばあさん達と一緒のベッドに移る。
ここまでがいろいろあった出産のエピソード。
娘は左耳難聴だった。
やはり高齢出産の弊害が出たのかとショックを受けた。知ったのは3歳健診。滲出性中耳炎が発覚。
小学校上がる前に息子と娘の扁桃腺アデノイド切開を施し、兄妹共に1週間入院となる。娘は鼓膜チューブを入れて難聴対策を行った。
今はこの娘も中3だ。
スクスク育ち、168センチの大柄女子となる。
お金に執着する娘、コガネを稼ぐタイプと見た。またこの娘、執念深い部分がある。
血液型も1人B。(ちなみに私も息子もABだ。)
Bは頑固だ。譲らない。
漢検準1級を目指し奮闘中。
この娘の悩みは体育のみ。
実は運動音痴の娘の付属中学の高校推薦基準(体育の基準)がクリアできるか?
保健体育3分の1+体育実技3分の2=25点
25点以下は付属高校に上がれないとのこと。
娘、保健体育は50満点。実技はペケ。
今回5段階の4を取ったとのことだが、これが続くか?とのことだ。
かわいい悩み💕❤️😍
笑える娘、真剣に悩んでいる。
とにかく15歳、お誕生日おめでとう。
今日は古河だ。帰りは22時。ごめんね。🙇♀️