私のテーマソング
幸せ運べるように‥‥‥。
東北道国見SAノート
このノートの最終ページ
国見SA ここにおさめられていた
忘れもしない2011.3.11
当時私は大型新築マンションのフロントだった。
この担当したマンションは一工区部分が完成、12月に引き渡しとなり、
二工区は規制をかけながらの工事。
住民の方々が生活しながら、全ての引き渡し3.25を待つばかりだった。
3.11 たまたま休日でテレビを見ていた。
14時過ぎか?
全てが倒れてしまうのではないかと思うくらいの縦揺れ。
携帯が鳴る。
メールがくる。
すぐに来て欲しい‥‥‥だ。
だが、すぐに回線が繋がらなくなった。
当時小学生四年👦と三年👧の子供は横浜から遠く離れた東京の小学校🏫に通っていた。
こちらも学校🏫と連絡が取れない。
交通機関は全て不通🚋🚌🚖、現場から呼ばれても向かえない。
マンション、大丈夫か???
子供、無事か???
食器棚から落ちて壊れた皿や茶碗を片付け、16時、車で学校へ向かう。
学校🏫へ着いた時間は3.12 深夜1時。
子供二人、学校の教室で銀色の紙に包まり寝ていた。
一夜明け、東北が大変なことになっていたことを知る。
🎶幸せ運べるように🎶🍀🌸
被災された臼井先生が神戸の復興を願い作った曲を知ったのがこの時だ。
🎼🎶
地震にも負けない強い心を持って
亡くなった方々の分も毎日を大切に生きていこう。
「亡くなった方‥‥‥。」
この言葉にずしーんと来ました。
数年経って福島を訪れた際に国見SAで見たノート。
未だ復興が進まない福島の、国見SAノートの明るい文字を見て泣きそうになった。
忘れちゃいけないな、私にもできることがある。
「自分だけが幸せ、これはいずれ破綻する。回りが回れば自分も回る。
人はしてくれた分必ず返してくれるから。それを繋いでいきなさい。」
そうだ、親からいつもこう言われていたっけ🙋☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆
皆さん、地域作業所の障がい者の人々の労働単価を知っていますか?
一円満たない単価が当たり前。一銭だ。
でも‥‥。
「障がい者年金があるのだからそれでいいじゃん?」
こんな言葉も聞こえてくる。
ここで障がい者をサポートする職員さんはNPO.行政職員ではない。一銭単価、これではこの方々の給与の保証がない。
『少なくとも50銭→1円にしましょうよ。』
横浜市がこの度私のこんな思いを認めてくれた。
一つ一つ、少しずつ、障がい者も健常者も垣根なく暮らしていける横浜、いや、神奈川、日本を作りましょう。
私はこの幸せ運べるようにを歌いながら、福島、国見の皆さんに負けないよう頑張っていきます。皆さんも1日1日大切に生きて下さい。